平田オリザ氏がロボットの研究に携わっていることは知っていたが、まさか興行にまでなっていたなんて。
公演は「ロボット演劇」「アンドロイド演劇」からの「質疑応答」という2部構成であった。
ロボット演劇「働く私」
R2-D2やペッパーくんのような、メカ感ある家事ロボットと人間のお話。
ロボットが調理をする、日々の成果の中で上達(学習)していくという姿は、一つの完成形であろう。同時に、「聞かれたことに正確に答える」ことしかできないというコピュータの長所であり短所でもある部分も描かれていた。
手伝いロボットが普及したらこんな感じなんだろうかという、近い将来の光景に見えた。
人間に仕えるロボットが「働きたくない」と言うのは違和感のあるユーモアであった。学習を経た先に感情を持ってしまうこともあるのだろうかと、思わずにはいられない。
アンドロイド演劇「さようなら」
後半はアンドロイド。外見や動きが人間そっくりの女性アンドロイドが、病床の人間に詩を読み聞かすお話。
これがもうビックリするくらい自然で、小さな動きや息遣いが人間そのものであった。詩を読むという、いわば娯楽としての用途も、外見から受ける抵抗が少ないだけに活躍の場も多そうだ。
そんな「彼女」に情が湧いてきたところで物語は急展開を迎える。主人が亡くなり"物"として処理されるのだ。電源が抜かれガクッと頭を垂れる姿はショックが大きく、荷物として運び出されることの理解はできるが心が追いつかない。
エピローグとして次の就職先の話が語られる。「人間の立ち入れない地で詩を納める」役割があるのだという。
スピリチュアルなものに対して科学の結晶を充てる、どこか心地の良い違和感である。
質疑応答
そんなわけで平田氏から、阪大就任の経緯や作品の背景について語られた。聞く中でいいなと思ったことを(主観で)整理して列挙。
- 医者は患者とのコミュニケーションが重要だから、医学部生への演劇的ワークショップは至極妥当
- 役者に演出をつけるのも、ロボットにセリフと動作のプログラミングをするのも、ある意味同じ
- 感情だけでアバウトな指示を出すのはいい演出家じゃないね
- ロボットに一度演出をつければ再演は容易/本番環境だと予期せぬエラーも多いため再演は容易でない
- 役者が流れで再起動/運び出してスタッフがメンテ&役者が場をつなぐ/私が出ていって土下座
- 公演は、研究の披露と同時にデータ収集も兼ねている
- ロボットは駆け落ちしない
青年団+東京藝術大学+大阪大学ロボット演劇プロジェクト
ロボット演劇「働く私」/アンドロイド演劇「さようなら」
2018.03.09(金)19:00@浜離宮朝日ホール